長生蘭 石斛 りき丸城辞典の索引
 ◎ 長生蘭・基本・定説編
 長生蘭とは
石斛・セッコク(Dendrobium moniliforme)の園芸品種、江戸時代は長生艸・大正時代の後期には長生蘭と呼ばれ平成の現代も長生蘭です。
 セッコク・石斛とは
 デンドロビュウム属で日本の自生北限は学術調査によると岩手県で、一説には青森県内にも自生が確認されたとの未確認情報も有ります、南は九州、沖縄、台湾、ヒマラヤにも分布が確認されてます、植物的には暖地性ですから、寒冷地に生育するものは極小型になり、南方では大型になり30cmを越える自生株も有ります。
 基本的には
 長生蘭は石斛・セッコクの変わり物で、その変化の巾は山中の自生種普通のセッコクをご存知の方には一見信じ得ない姿に見えますね、長生蘭の奥深き姿は特殊化した美意識と研ぎ澄まされた感性と観察眼による、品種の評価と唯一正形尊重の為日々の丹精選抜選別の世界最小の観葉植物・どれほど美しくとも雑種は長生蘭ではない、先達の古来我が国の伝統、植物を改造する術を持たない旧来種古来種の基本品種群。
 定説的には
 昭和の後半には一大革新的な時の流により、長生蘭も近代種の登場登録の時代を迎えています、洋種のデンドロビュウムとの交配種が多数長生蘭に加えられて来ます、また、一部の親木の公開や親木不明の品種も多数長生蘭に加わりました。
 りき丸の独断
 創始の時期は天保以前の医薬として活用の時に始まり、世界最小の観葉植物としては江戸の時代に最盛期を向かえ(古来種)〜(旧来種)明治迄は一部の特権階級の道楽のひとつで、栽培実態は専属の栽培者によるお抱え栽培が行われ、門外不出の掟に守られた封建栽培の確立。そして価格的に最も高額な時代が長く続きました。大衆栽培品としては大正の時代以降になり自由奔放な和洋折衷大正浪漫、長生蘭にも和洋折衷の影響が現われ栽培の品種も掟は破られ唯一正形の追求から花物の混在フリースタイル履き違えた(混迷期)のスタート時代に成りました、この時代まで姿を消していた花物の復活の流れや近代種タイブの姿が現われ始めます、昭和よりも大正時代に、既に幾つかの交雑交配の長生蘭は誕生と推定します、旧来種・古来種の変化・新化芸に照らして、多数芸変化が確認されることから浪漫 大正ロマンの一群ですね、そして旧来種・古来種の絶滅の大戦に突入貴重な品種並びに本源本種が消え、新長生蘭時代のスタート昭和ロマン期平成ロマン期新セッコク期
創始の時期
最盛期
特権階級
専属の栽培者
封建栽培
高額な時代
大衆栽培品
長生蘭にも和洋折衷
掟は破られ
正形
混迷期
花物の復活
交雑交配
交配
一群
旧来種・古来種
新長生蘭時代
昭和ロマン期
平成ロマン期
新セッコク期

H21年6月 高芽=花芽 定説の姿 幸運にも高芽の花芽のがメラに成功
 
変化芸の発現
H21年6月 芽変わりの姿。新長生蘭時代の到来により芸として確保栽培。